歩いてきた道を振り返る、その3

新人獣医時代
獣医として採用されたのは、
第1希望ではなく
第2希望のNOSAI(農業共済組合)でした。

就職してから、
大学では感じなかった
性別の壁を感じるようになりました。

私が新卒だった2007年ごろは、
NOSAIの女性獣医の採用が増えてきたところでした。

それまでは、NOSAIの獣医と言えば
ほぼ男性。

経営者側も、
女性獣医が働くということに全く慣れていませんでした。

面接では
「子どもができたらどうするつもり」
と聞かれ、
(男性には聞かないでしょソレ)

OBのおじいちゃん獣医に突然
「だから女なんて採用するなと言ったんだ」
と言われ、
(意味不明)

初任地の診療所でも
「女に診療なんてできるのか」
「女は頭は良くても判断が遅いな」
と言われ…。
(のちに「けっこうやるな」と思わせたはず)


男性の職場とわかってはいたものの、
かなりの逆風を感じながらのスタートでした。

とは言え、
当時は自分が経験を積むのに必死で、
あまり深く考えることはありませんでした。

雑用は率先してやり、
朝一番に細菌検査をして、
先輩の入れた手術をやらせてもらい、
難産となれば一緒に行って教えてもらい、
土日も休み返上で出ていました。

わからないこと、できないことは膨大で、
少しでもできるようになるために
全力疾走でした。

この頃好きだった仕事は、
注射や手術など手先を使う仕事でした。
手先が器用な方なので、
上手くなるのが楽しかったし、
やった成果がすぐにわかるのも満足感がありました。
しかし、
仕事上で失敗もたくさんして、
農家さんや上司にご迷惑をおかけしました。

獣医が家畜の診療を失敗することは、
そのまま農家さんの経済的な損失になります。
また、人間的に未熟で、
不愉快な対応をしてしまったこともありました。

その度に、
「次はこんなことが無いように!」
「損失を出してしまった以上の利益をお返ししよう!」と
心に刻みました。
バンドでボーカルしてました
この頃楽しかったのは、
実習でお世話になった先生方との
バンド活動です。

NOSAI職員メインの
ベテランアマチュアバンドに
ボーカルとして混ぜてもらいました。
演奏するのは主にオールディーズの曲で、
聞いたことのなかった名曲をたくさん知りました。

仕事を定時で終わらせて、
標茶のプレハブ小屋に集まり、
練習や話し合いをしていました。

在籍期間は3年ほどと短かったですが、
公演機会はけっこう多く、
標茶のダンスパーティーのライブバンド、
NOSAIの職員交流会、
学術発表会などで演奏しました。

演奏も楽しかったですが、
終わった後の飲み会も楽しかったです。
みんな音楽好きなので、
カラオケが盛り上がりました。


歌の腕前はともかく、
人前に出ても割と平気な自分を発見した機会でもありました。

結婚、退職、再就職

新人研修で出会った夫とは、
結婚後1年ほどは別居で過ごし、
私が退職して
夫の住む十勝へ移りました。

退職の時は、
あまり円満ではなく、
残念でした。
この時、
「辞めるなら宣言してからすぐに辞める」
という教訓を得ました。

初任地で経験を積み、
だんだんと仕事ができるようになっていたところだったので、
キャリアが途切れる不安がありました。
しかし、
運良く十勝NOSAIですぐに採用され、
陸別町で働き始めます。
ところが!
夫と同居するために十勝へ来たのに、
赴任地に住むように命ぜられて、
引越し後1ヶ月で
また別居になりました。

自分が望んでいないところに住むというのは、
私にはかなりのストレスでした。

夫はいないし、
あるのは仕事だけ。
仕事もとてもハードで、
再就職したばかりでしたが
「いつ辞めよう」と考えるほどでした。

結局、半年ほどで陸別町からは転出し、
足寄町で夫と同居を始めました。

この頃から、
雇用される者の立場の弱さ、
不自由さを感じるようになりました。

職場が変わったことで良かったのは、
人工授精や馬の診療など、
技術が増えたことです。

同じNOSAIでも、
仕事の進め方や労働組合の活動などに
違いがあることもわかりました。


仕事のやりがい

新人時代は、
目の前に現れた病気をひたすら診療して、
治った牛を前に農家さんと喜ぶのがやりがいでした。
しかし、一通りの診療ができるようになると、
次から次へと出てくる同じような病気に
「これでいいのか?」と感じるようになりました。


例えば、
子牛の風邪の流行。

毎年冬になると、
風邪が大流行してなかなか治らないケースがありました。

20〜30頭もずらりと子牛が並び、
一頭ずつ検温し聴診して、
どの薬を使うか決め、
注射して、記録して、
カルテを書く。

頭数の波はありますが、
これを半月くらい続けます。
1シーズンに何回か流行が起こります。

風邪だけでは無く、
下痢で点滴する牛が複数出たりして、
終わりが見えず、
農家さんも獣医もため息…。

時間はかかるし、手間もかかり、
牛の成長は遅れるし、
お金もかかる…!

家畜は、人に飼われています。

空気、食べ物、飲み水、寝るところ、歩く道、など、
生活環境の全てを農家さんに託しています。

先天的、生まれつき持っている病気は仕方ないにしても、
何か病気を予防する手段があるのではないかと思うようになりました。
農家さんを責めたいわけではありません。
朝から晩まで忙しく、
休みの日もほとんどない中、

病気になってほしいと思って管理する人はいません。

その農家さんなりの最善を尽くしているはずなのに、
病気が出てしまうのはなぜなのだろう。
病気が減ったら、

家畜は健康になり生産量が増え、

生産量が増えて農家さんの儲けになり、

治療にかけていた時間が減って

農家も獣医も楽になるのに!

浮いた時間をほかの仕事に回せるし、

遊ぶ時間も増やせる!


(獣医の売り上げは減るのですが)
ひたすら火消しをするのではなく、
病気が起こる前、
原因の段階でせき止める手段がないか考えるようになりました。
それも、職人技的なスーパーテクニックではなく、

科学的で、
誰でも再現可能な、
マニュアル的なもの。

しかし、
マニュアルならいっぱいあるんです。


マニュアルがあっても、
それをやるのは結局は「人」。

なぜそれをやるのか、
人は自分の頭で考え、納得していないと
実行しない、または継続できないと感じるようになり、
いい方法はないのかと探すようになりました。
母になる
十勝に来てから1年後、
第1子を妊娠しました。

妊娠がわかった時点で、
仕事は事務所内での内勤になり、

2012年、私は十勝NOSAIでは初めての
子どものいる女性獣医となりました。

長い文章はまとまっていない証拠…。
承知しております。

ようやく最近の「自分の成り立ち」に
追いついてきました。

もうちょっと続きます。

なつみの連絡ノート

北海道、十勝の芽室町で 3人の男児の母と獣医師をしています。 獣医の仕事や、 子どもたちとの生活について などを綴ります。 読んでくれた方と、連絡ノートのように お話をしていけたらいいなと思います。

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